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    東京・練馬のアロマテラピーの店キルケ店主のブログ

    亡き父の誕生日献杯と不倫(?)ネタ

    皆さま

    こんばんは。

    二日前、亡き父の誕生日でございました。昨年の今頃はまだ施設におり、隣接のデイサ-ビスでお誕生会をやっていただいていたようです。施設の方が写真を送ってくださいました。今年はこのように富士見台の「まこと」さんで大好きな日本酒で献杯しました。

    献杯

    本日は父の過去のエピソ-ドをひとつ。

    写真だとすっかり好々爺になってしまってますが、母の話によれば父には別宅(つまり彼女のお住まい)があり、私が小学生から大学生くらいまで10年くらい主に土日にそちらで過ごさせていただいていたようです。母も若い頃は憤りがあったようでしたが、次第にいってもらっていたほうが楽ができるし、子供の私も父がいないほうが平和で楽しく過ごせてよかったのを覚えています。

    しかし、私が大学生の頃、母が単身で珍しく東京の私のアパ-トに来て、
    「お父さんと離婚することになると思う。」

    とそれまでになく単なる愚痴ではない話をしに来たことがありました。私もただならぬことと思い、
    「場合によっては私の学費が支払えなくなるのなら、大学をやめてもいいよ。」

    と覚悟をきめ、東京で母の仕事を探し、自分も大学を中退して働き、まずは二人で生活していこうという決起集会だったと思います。どうも父が別宅様には子供さんもなく、自分がいないと駄目だから別れたいという話をしてきたらしく。
    私の父母は仲のよい夫婦とは到底言えない夫婦でしたので、私は大賛成でした。
    母を一旦は福島に返し、その後の動きを待っていたところ、いつの間にかその話は立ち消えていました。

    結局、父母は離婚せず、私も大学は卒業し就職しておりました。

    のちのち詳しいことを母から聞いた話では、どうも別宅様からもうお付き合いは止めにしたいと言われたらしく、うやむやになったそうです。私はこの辺りからあまりまともに親の話を聞くのをやめにしたように思います。(笑)

    父は大変外面が良く、女性にもてたそうなのです。そういえば小学生の頃、担任の女性の先生に「お父さんカッコイイね。教育や政治にもすごく詳しくて弁が立つね。」などと言われたことがありました。今で言うモラハラ親父だったので「へ~!!そんなら先生が引き取ってくれよ。」と思ってました。
    確かにそれなりに社会的地位もあり、初対面の人には優しいらしいので、母もお見合いでこの人ならと思ってしまったのでしょう。一番良くない父の欠点は短気ですぐ家族に手を上げることでした。
    やはりこれは我慢しちゃいけません。私が経済的に父から独立してからはこの件でお灸をすえたことがありました。意外に気が小さいところもあり、「そうだ。おれが馬鹿なんだ。」と謝ってくれました。
    もしかすると父は誰かに叱って欲しかったのかもしれません。

    それにしても、別宅様からも「もう来ないでください。」と言われ、直後には母から「いつ出て行くの?出ないの?」と言われ
    「やっぱり、行かないことにした。」としか言うことができず、モテ男のはずの父としては大変残念で格好悪い結果になり、子供としてもげんなりを通り越して気の毒に思います。

    古典落語に「権助ちょうちん」という話があります。
    本妻さんからもお妾さんからも「今夜はあちらさんにお行きなさいませ」と言われ、長い道のりを行ったりきたりを繰り返し、提灯持ちの権助に「旦那、もう火をつけなくても夜が明けました。」というあらすじなのですが、二人の女性の間を行き来する旦那の悲哀と女性のそれぞれの覚悟とプロ意識を感じる粋な話です。うちの親の場合は全然粋じゃありませんが、いつもこの話を聞くと親のことを思い出します。

    そもそも、一夫一婦制の結婚に無理があるのでしょう。一夫多妻は元々あったことですが、かのサルトルとボ-ボワ-ルのように複数のパ-トナ-を認め合う多夫多婦制であれば不倫にはならず、もめないことになりますが、そこまで精神的に成熟できる人ばかりではないでしょう。

    倫理上駄目なことをした人を第三者までが叩くことがメディア上許されているこの日本では「人の不倫は蜜の味」であってほしいのでしょうね。

    しかし、我が家にとって父の「不倫」は良い側面があり必ずしも不幸ではなかったと思います。母は父のいない時間に楽が出来、自由に過ごし、子の私は親を見て、現行の結婚制度には過度な期待をしなかったため一回目の結婚に執着せず8年目に離婚し、その後のシングルライフを充実させ、キルケを立ち上げることが出来ました。(^-^)/

    そのことに感謝し、父の最期は20年超え別居の母が毎日のように病院に通い(母宅のすぐ目の前でした)ほぼ看取ってくれました。幸せな最後だったと思います。人生最後の最後にならないとわからないものですね。

    まさか自分のお誕生日あけてバレンタインデ-にこんな話を書かれているとはねえ。
    自分が、自分がの人でしたから、話題にされただけでも喜んでいると思います。

    Ciao !!

    キルケ店主 佐々木
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