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    東京・練馬のアロマテラピーの店キルケのブログ

    成城ホールのピアノがさすがだった話

    皆さま

    こんにちは。

    またもコンサートに行ってきました。今度はストリートピアノをサラリーマン風のスーツと鞄で現れて
    超絶技巧、爆速で弾いて人気急上昇中のピアニスト、ひびきpianoさんのオールジャンルの
    ピアノコンサートでした。
    もちろん初めて行きました。ひびきさんのコンサート自体も成城ホールも。

    譜面も見ないで次々に楽曲を弾いていくひびきさんにももちろん驚いたのですが、成城ホールが
    スタインウェイ&サンズという最高峰といわれるピアノを備えていることでした。
    ひびきさんもこのホールは初めてとのことで、この最高峰のピアノでオールジャンルでいいのかと思われたらしく
    ショパン、リスト(?)、ドビュッシーなどクラシックを数曲追加してくれてよかったです。

    成城ホール

    YouTubeの動画でチャンネル登録している主にひびきさんのお母さんくらいの女性かそれ以上の年齢のファン、とお若い女性ファンが7:3くらいの割合で来られてました。

    長年東京に住んでいながら成城学園前駅で降りたのも初めてでした。
    近くの成城大学ものぞいてみたり、駅前に練馬にはないゴディバがあったり、おしゃれなカフェがあったり
    やはり都心ではないものの練馬在住者にとってはお上り感のある旅になりました。
    あと、駅近で便利なホールでした。

    良かったと思った曲はやはりショパンの英雄ポロネーズ、ノクターン遺作、ドビュッシーのアラベスクなどのクラシック。クラシック以外だともののけ姫メドレーも良かったです。

    9月22日に目黒パーシモンでオールクラシックコンサートも開催されるようなので行こうと思ってます。

    クラシック知識ゼロからのスタートでしたが、まだビギナーとはいえ大分マシなリスナーになってきた今日この頃です。

    ひびきさん、おそらく30歳前後と思いますが、すらりとstyle良く、顔もすっきり可愛い系なのでこれからさらにピアノの腕を上げてひびきpiano市場は大きくなりそうです。
    今後が楽しみです。

    Ciao!!

    キルケ店主 佐々木

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    人生初のクラシックコンサートへ♬

    皆さま

    こんばんは。

    キルケ店主、還暦を迎えるこの年から東京生活に数年後は終わりを告げるため、東京で経験しておきたかったことを実行していくことを決意しました。

    まだリストを作成してないのです。が、悩みながら作成している暇があったら、思いつきで実行していったほうが良いと思いました。

    その第一がこのタイトル通り、クラシックコンサートに行くです。赤坂界隈には仕事で行くことが多いくせにあのサントリーホールに行ったことがなかったんです。クラシック音楽の知識ほとんどゼロからのスタートです。しかし今はネットでなんでも予習ができるからありがたい。にわか勉強で行ってきたのがこれ。
    新日本フィルの定期演奏会です。ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」 ストラヴィンスキー「火の鳥」(1919ver) ベルリオーズ「幻想交響曲」 指揮者はなんと87歳になられるシャルル・デュトワ、音の魔術師という異名を持つ。実はこれまで全く知らなかったです。名声もある一方、ME TOO運動以前から性的暴行云々の悪しき癖も有名なマエストロのようです。87歳とはとても思えないパワフルなお方であった。私の母と同い年とは到底思えない。比べるのが大間違いだが。

    サントリーホールエントランス
    開場近くになるとエントランス上のミニパイプオルガンが鳴り出す。多くの人がスマホで撮影していたので私めもすでに初めてのサントリーホールまでのリサーチで疲れていた足に鞭打って収めた。

    ホール

    開演前とカーテンコールの時は自分の席から着座のまま撮影が許されているらしいです。

    割れんばかりの拍手が楽団員とマエストロに送られて開演。それはすでに音楽であった。

    いやー。ドビュッシーはキルケのサロンでもBGMで使わせていただいていて知っていたんですが、ストラヴィンスキー、ベルリオーズは全く知らなかったので予習していって良かったです。やはり生演奏、大迫力です。素晴らしかった!楽しめました。

    火の鳥が終わると20分の休憩がありました。

    ワイン

    クラシックファンの慣れた感じの方々が結構おひとりさまで来られていてワインやスパークリングワイン、シャンパン、もちろんサントリーの高級ウイスキーやビールなども販売されていて、私めも目が卑しいので赤ワインをついいただきました。(800円)そこそこ量があり、最後一気飲みに近い感じで席に戻りました。

    まずい。このすきっ腹にワイン飲んで眠くなったらやばいと思いましたが。幻想交響曲ちゃんと楽しめました。しかし、少し耳の感度が悪くなった気がしたので、ソフトドリンクにするべきだったですが。

    マエストロとコンマス

    デュトワとコンマスが握手する図を何とか撮影できました。フィナーレ直後に「ブラボー!」「ブラバ!」の歓声が数回入って竜巻のような拍手がいつまでも鳴りやみませんでした。

    アークカラヤン広場看板
    カラヤン広場蚤の市

    カラヤン広場で赤坂蚤の市を眺めながらフラフラと家路につきました。

    六本木一丁目駅からのアクセスも方向音痴ながら分かり、またオーケストラの演奏会にサントリーホールに来たくなるキルケ店主でありました。どっさりとたくさんの演奏会のチラシをもらってきましたし。。。

    練馬在住お上りさんキルケ店主都心への旅。一回目でございました。

    最後までご覧いただき誠にありがとうございます。

    キルケ店主 佐々木

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    ☆実家台所親子ドアも新品に☆

    皆さま

    こんばんは。

    つい先日、数か月のリサーチを経て、リフォーム後の実家の中で手を付けられず50年前のままのまんま最も気になっていた台所と廊下の境目の親子ドアを特注で設置してもらいました。

    台所全体が古いまんまだとそんなに気にならなかったのですが、システムキッチンも総取り換え、壁紙もきれいにしてもらったら、50年という歳月の劣化、などが際立ってました。
    市の水道引き込み工事を請け負ってくれた(株)上信設備さんの紹介で紺野建具店さんにキルケ店主の希望通りの色、デザインで作成してもらいました。
    キッチンの色に合わせた白と明るいベージュの木目模様、格子窓は人気の高いチェッカーガラスはノスタルジックで穏やかな雰囲気を醸し出し、暗め茶色の壁の廊下を明るくし、白と茶色のコンビネーションは王道ですがドアのデザインがテイストとしてはどちらかといえばややエキゾティックですので、狙い通りの雰囲気を出してくれました。

    令和2年福島沖地震で全壊(基礎がだめになっている)判定が出てかなりの散財だったため多くの費用をかけられない中、特注のドアにもかかわらずリーズナブルにやってくださいました。

    以下、ビフォーアフターです。
    <ビフォー>

    古いドア2

    昭和レトロでいいんじゃないという人もいますが、これから先を考えると経年劣化も進むし、やるときにねん出できる費用でないと先延ばしになってできずに終わるのは避けたかったので取り換え決行しました。

    <アフター>
    廊下側から
    廊下側からのドア

    台所側から
    新しいドア2

    このチェッカーガラスのノスタルジーにはここのところ刺さって来るものがあるんですよ..。

    イメージ

    先のことはわかりませんが、地震という禍転じて福となすとしなければですね。

    <協力>
    (株)上信設備さん : 福島市南沢又 0120-557-1658
    紺野建具店さん : 伊達郡桑折町 024-582-2343

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    ようやく仏壇に父の位牌収め

    皆さまへ

    こんにちは。

    先月の父の命日前日に仏壇がf福島の実家に納品され、
    住職に御霊入れ開眼法要をしていただきました。

    母もなんとなくほっとしたようでした。

    私のほうはどんな仏壇にするかでかなり迷った挙句にきめた仏壇でしたので
    いろいろ気にしてましたが、洋間になった茶の間に合うような色、デザイン、大きさになったと
    母が意外に気に入っていたので良しとします。

    今はほんとにいろんなところで仏壇が販売されていて驚きました。
    かなりコンパクトになっていると聞いていましたが本当でした。
    しかし、あまりにたくさんのデザインがあり、かなりの期間悩みました。

    仏壇

    こんな感じで馴染んでます。
    住職も母のヘルパーさんも何もかもが可愛いと言ってくださり
    父もコロナ以降全く何もしてもらえなかった分、喜んでいることでしょう。

    お葬式、新盆以来5年も何もできないできましたので私めもなんだかほっとしました。

    キルケ店主 佐々木

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    母26年ぶりに帰宅しひと月 実家生花店廃業により

    皆さまへ

    お久しぶりです。

    実家が地震により壊れ、大規模リフォーム、市の水道引き込み工事などで整備に伴う準備や試運転などでともかく忙しくしていましたのは、ちょくちょく報告させていただいてましたね。

    ここのところは特に忙しく東京、福島間を行き来して疲れ切っていましたよ。

    というのも、母の実家の生花店はもうかなり前から売り上げが微々たるものになっておりまして、華道教室で稼いでくれていた従妹の力があってやっと支払いができていたようなものでした。健康状態も年齢もありますが働けるような状態ではなかったですので、半分以上は廃業しているようなものでした。しかし、90年近く営業してきた池坊生け花の華道教室が柱の花屋でしたから古くからの先生、生徒さんに来ていただきたくて、なくなるのはあまりに寂しいと言っていただいてやってきたのでした。

    しかし、さすがに昨年秋に母が転倒して右手首を骨折して、右膝も打撲してほとんど花の仕事は出来なくなり、気力もなくなってわずかに預かっているお客様の花の水やりすら忘れてしまい、枯らしてひたすら謝るしかないようなことが何回か続いたあたりから自信を失ってさらに物忘れが進みました。
    今年になって母が花屋を辞める、離れると言い始まったあたりで、ちょうどキルケ店主の実家(つまり母も元々住んでた家)が水回りの試運転も終わり、準備が整っていました。

    「じゃあ、戻ればいいべ。もともとは住んでた家だし。」

    「んだべがな。あんたらが老後に住むんだべ。」

    「お母さんが住むのも想定内だ。実家の花屋って言ったって、相続するわけでもないし花屋ができないのにいるわけにはいかない。(従兄弟、従妹たちが困ってしまいます)いいんだよ。お母さんが戻ることも考えながらリフォームしたんだよ。」

    「ほうかい。」

    こんな婆さん母と初老の娘の会話があり、4月上旬に荷物運びをして約26年ぶりに元の家に移り住みました。

    おおむね間取りは変わってないですが、畳の部屋は無し。全部の部屋をフローリングにしてしまいました。水回りもザ・昭和な設備が令和の設備に。かなりの環境の変化になってしまいました。年取ってからは足腰に負荷をかけないよう、ベッド、テーブル、椅子、ソファの生活が理想なのでそうしたんです。慣れるようにケアマネさん、介護ヘルパーさんにも協力いただき、ひと月経っておりました。
    母、意外と馴染んでおります。案ずるより産むが易しか。

    しかし、やはり母が一番そうなんだと思いますが、花屋がなくなったという大きな喪失感にさいなまれます。私、キルケ店主も準備であれこれ考えて忙しいうちは考えないようにしてましたが、なくなった寂しさは今、ちょっと落ち着いてきつつある中で波のように押し寄せては引いてを繰り返しています。

    かつての福島市の中心地にあった花屋は私が物心ついたころに大変繁盛していた店でした。近くに福島交通のバスターミナルがあり、路面電車が走り、福島県庁、福島県警、第一小学校、中合デパートも近く、母は私が幼稚園生の頃から花屋の手伝いに行ってましたので、幼稚園から渡利という町の自宅に帰るのではなく、母のいる花屋に行き、一緒に渡利に帰る暮らしをしていました。その頃は祖父母(当時50歳くらいで今の私より若い)が店を仕切っており、人も何人か雇っていました。
    花屋の近隣は飲食店、化粧品店、薬局、文具店などの商店が軒を連ねて大変にぎやかだったのを覚えています。幼稚園生でしたが、ご近所なので祖母にお金をもらい、一人でラーメンを食べに行ったりするのも普通のことでした。そんな風にお金をくれる祖母のがま口に銀色の100円玉がぎっしりと入っているのが子どもながらとても頼もしく思ったものでした。
    いざとなったら(夫婦仲の悪い父と母でしたから)ばあちゃんにお金をもらって生活すればいいなとさえ思っていました。

    そんなことをいろいろ思い出してましたら、胸が詰まります。

    先月、花屋の建物の実質オーナーの従兄弟に固定電話をどうするか聞いたら、自分は携帯があるから全く使わないというので解約しようとNTTに連絡したところ、契約者が創業者の祖母のままになっており、市役所に母と祖母の関係性がわかり、祖母が死んだことがわかる謄本がいることになりました。しかし、何かの手違いで番地が間違っていたため直すのに時間がかかり、まだ出してもらえず、結局固定電話の解約が先延ばしになっているんです。

    実は未だに母に電話しようとすると花屋の電話番号にかけてしまいそうになります。

    かつては必ず祖父母が出ていた電話。途中から伯父や伯母になり、最後は私の母が出る電話になってから20年は経ってしまっていました。
    その花屋の電話番号というのは小さい子ども時分からしっかりと頭にあり、決して忘れたことがない番号でした。
    できれば建物があるうちは残してほしいと従兄弟に言おうとしている自分もいましたが、使わない上に、古いお客様がかけてきてくださり、まだ後継者が営業していると思われるのもなんですので、やはり解約して無くすしかないのだなと思います。

    コロナ以降、入院している弟も何も持たされているわけでもないのに未だに覚えている番号のようで母に電話というと、つい2か月前まで花屋の番号でかけてきていたようです。なので、先日弟の担当の看護師さんに今は花屋の固定電話に出る人は誰もいないので、弟自身の実家の電話番号にかけないと母は出ないよと伝えてもらいました。

    花屋にはそもそも母の兄夫婦がいて祖父母の跡を継いでいたのですが、二人とも他界してしまい、母と母の弟の嫁さん(つまりキルケ店主の叔母)が二人で必要に迫られて運営を引き継ぎました。不景気や震災で経営難なんてものではない状態でしたが、まるっと誰かを食べさせているわけではないこと、華道教室を運営する従妹の尽力で何とか持たせてきました。

    利益が出せなくなっても失くしたくないと思う親戚縁者、華道の先生、生徒さん方、ご近所さんにとって大きな場所であったということは実にありがたいことです。

    花屋のブログ、母や応援してくれるお客様、親戚の応援のため私、キルケ店主が2016年まで続けていたブログが残ってます。

    もしよかったら見てやってくださいね。

    http://anndouhanaya.blog98.fc2.com/http://

    キルケ店主 佐々木

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